なぜがん・難病になるのか

なぜがん・難病になるのか

はじめに

聖尊寺は、仏教の教えを基本とする信仰の場です。この「なぜ自分がガンや難病になったのか」とか「大法行・祈願が数々の実績を積み重ねる理由は何なのか」という問いに対しては、もちろん聖尊寺の教えに基づいたお答えをすることはできます。しかし、このページをご覧になっている方は、正直に申し上げて

「そんなことは今どうでも良いから、神様でも仏様でも救ってくれるなら一刻も早く救ってほしい」

とお考えの方が多いでしょう。事実、聖尊寺は『病気の方の最後の駆け込み寺』として、今日まで実績を積み重ねてきました。そのような方には、何よりもまず皆様の体験談を通して聖尊寺の実績を目の当たりにしていただき、一刻も早く『人生相談』を受けられることが早道だと思います。

このような考え方には、「信仰にも成果主義なのか」などといった批判も当たるかと思いますが、例え信仰の道を歩むとしても、心身ともに健康でなければ達成することは不可能です。もちろん、聖尊寺の教えを広めることも大切なことですが、そんなことを一刻を争う人に対して説いたところで、どうなるのでしょうか。

それでも、どうしてそうなるのかといった問いに対しては、きちんとお答えをしなければなりません。ここでは、その点に疑問を持たれた方のために、なるべく簡潔な説明を心がけておりますが、実際には人の人生に関わるお話ですから、聖尊寺の教えの深い部分と関係している、複雑かつ様々なことが絡んできます。それについてはこのページ上では省略しておりますことを、あらかじめお断りしておきます。

あなたが病気になった理由

なぜ自分がこの病気に冒されるのか。なぜうちの人が、なぜうちの子が、なぜあの人が……そういう疑問をお持ちになるのは当然のことだと思います。それについては色々な人が、因縁だ、墓の祟りだ、先祖の祟りだ、落武者の祟りだ、ヘビやキツネの祟りだ、……等々と色々なことを言っていますが、それは横に置くとして、聖尊寺では聖尊寺でしか有り得ない

「大法行によって数多くの人々が実際に救われている事実」

からさかのぼって考えたいと思います。

物事には、必ず原因があります。例えば病気の原因にしても、最近では「酒を飲み過ぎると肝臓を悪くする」とか「タバコを吸いすぎると肺がんになる」といったことは、広く知られています。そうして病気になれば、普通は誰でも「酒をやめよう」とか、「タバコを控えよう」とか考えます。そしてそれが実行されれば、病気の進行が止まったり、時には病気が治ったりするものです。これはつまり、酒の飲み過ぎとかタバコの吸いすぎといった「原因」が無くなったから、肝臓が悪くなるとか肺がんになるといった「結果」も無くなった、ということです。

聖尊寺では、どんなことでも同じことだと考えています。つまり、どうしてそうなったのかわからないような出来事でも、必ず深い深い原因があるのです。その原因は自覚している場合もあれば、知らず知らずのうちに原因を作っている場合もありますし、必ずしも悪いことをしたから悪い結果になった、ということでもありません。その原因が、私たちにとってハッキリわかるものか、そうでないか、ということは別の問題です。

「大法行」とは何か

つまり、「大法行」とは、そういった様々な物事の原因を、目に見えない世界の力によって取り除く祈願行、ということになります。大法行によって悩みが解消したり、問題が解決されると「奇跡が起きた」と皆言うのですが、このような考え方からすれば、実に理にかなった当たり前のことが起きているだけで、それを実際にできるのが聖尊寺である、というだけの話です。

とはいっても、実際の「大法行」では、その方その方によって、例えば右から攻めずに左から攻めるような、問題解決に向けた様々なアプローチを行うこともあるので、「大法行」はこういうものだ、ということを一概には言えません。何と言っても目に見えない世界の話ですから、この説明を読んでもピンと来ない方が多いかもしれません。
中には、目に見えないものは信じないという人もいます。例えばあなたは神様と会って神様と話をしたり、神様と団欒したりすることがありますか。それはできません。仏様にもあなたはお会いになったことはありますか。キリストもマリアも、お釈迦様も、この世に生存していた実在の人物です。しかし、我々に伝わってきているのは理論です。理論というのは、見える証拠や見えない証拠、そういった理屈の問題ではないのだということを頭に入れていただきたいのです。

しかし、そのような理由付けがよくわからなくても、何はともあれ聖尊寺には大法行によって現実として人々を救っている実績が数多くあるのです。本物だからこそ、お伝えできるのです。

聖尊寺は、商業的な宣伝をしたいのではありません。人を助けたい、人を救う使命を感じています。それができる力があるのですから、その使命を果たすことが人間に対する努めではないかと考えています。そうして人を助けるために、人の手をつかんで、離さないように引っ張っているのですが、自らその手を離したり、つかまない人が余りにも多いのです。それで救われなかったと言われても、どうすればよいのでしょうか。悲しいことです。

大法行を申し込む際の心構えや、申し込みの方法などは、こちらのページに記載しております。また、大法行がどのように行われるかということに興味がある方々のために、大法行の様子を別ページに掲載いたしました。よろしければ合わせてお読みください。

ガン・難病専科